• ミロコマチコ「ミロコあたり」

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 奄美大島に引っ越してきて、早くも1か月が経った。少しずつ自分たちの過ごしやすいように部屋を作って、やっと落ち着いてきた。猫たちが外を満喫する小さなウッドデッキもできた。
 借りているお家は小高い丘に建っていて、東シナ海と太平洋がどちらも見える。晴れた夜は、大きな空がぐるりと素晴らしい星に囲まれる。いつも首が痛くなるまで見上げてしまう。
 海や山がそばにあって、いつでも遊びに行きたくなる。アカショウビンが素晴らしい声で歌い、不意にヤモリがキョキョキョキョキョーと愛らしく鳴く。誰もいなくても、うちはいつでも賑やか。
 しかし、いいことばかりではない。ある朝起きて、洗面所に向かい、歯を磨いていた。私は目が悪く、裸眼では世界がぼんやりしている。そんな中、もやもやと目の端で何かが大量に動いている気配がした。慌ててコンタクトレンズをつけると、おびただしい数のアリが、壁を歩き回っている! 洗面台をよく見ると、歯磨き粉や、髭剃りの横も、ブラシや化粧水の横も、せかせかとアリたちがうごめいていた。
 蜘蛛やヤモリ、名前のわからない虫たちが家の中にいることは日常茶飯事なのだけど、この量のアリには、さすがに驚いた。種類はわからないけど、見た目は、東京にいるアリと大きさもそう変わりはない。
 辿っていくと、洗面所の電気のスイッチの隙間から出入りしているようだ。すぐ隣は台所なので、そちらに行かれたらまずい。人間のいろんな美味しいものは、アリにとっても美味しいはずだ。
 隣に住んでいる大家さんに会うと、聞く前に、
「アリがすごいね!」
と言われた。よく見るとすでに手には殺虫剤を持っている。
 うちと大家さんの家は玄関が別々だけど、二世帯住宅のように繋がっている。どうやら、アリはいろんなところから攻めてきているようだ。度々アリに襲われることがあるようで、大家さんは怒っていた。
「電気系統やられたことがあるから。腹立つよ!」
と言って、家の周りに殺虫剤をかけていく。侵入はこれで防げるかもしれないけど、もう家の中に入ってしまっているアリたちをどうしようか、と風呂場の電気をつけると、スイッチの奥で、パチパチパチ!と音がして、なかなか電気がつかなかった。
 ぞわーっとした。もう既にアリが壁の向こうで電線をかじっているのだろうか。よくよく壁を見渡してみると、洗面台の上にあるブレーカーのたくさんあるスイッチの隙間からも、アリたちが出入りしている。奄美の暑い暑い夏に、もし電気が使えなくなったら、死んでしまう!
 というわけで、アリ駆除剤を買ってきた。アリが好きなご飯が入っていて、それを食べると、そのアリも、周りのアリたちも死ぬというもの。どこに置くか迷ったけど、不快なのを我慢して洗面台に置くことにした。一番、アリの出入り口に近いからだ。
 次の日の朝、白い洗面台に黒いアリが大量に死んでいた。その横でまだ生きているアリたちが盛んに餌を食べている。死んでいるアリや洗面台の中に落ちてしまっているアリたちは、容赦なく水で流す。丸い洗面台をくるくると回りながら、流されていくアリたち。アリ地獄とはまさにこのこと。これを何度も繰り返し、日々を過ごす。それでも、どんどんどんどんアリたちが無限に湧いてくるように感じる。
 途中、あまりにも気持ち悪いと、旦那さんが私に無断でアリの餌も全て捨ててしまった。私は、
「これは命がけの戦いなんや! 諦めたら負けや!」
と激怒し、新しい毒を設置。その情け容赦のない姿を見て、
「アリ殺しのマチコ」と呼ばれ、恐れられていた。
 その頃には、見かけたアリは素手で潰せるほどになっていた。
 この闘いは10日間ほど続いただろうか。やっと収束に向かっている。今はブレーカーにはアリの姿は見えない。たまに床を歩いているアリに出くわす程度になった。しかし、一歩家の外に出れば、数え切れないほどのアリがいるのだから、この家には入らないで、なんて、身勝手な話である。
 私は、庭のアリに、
「ごめんやで。ご馳走置いとくし、許してや」
と言って、昨晩うちの猫たちに殺されてしまったでっかいカマキリを土の上に横たえた。
 数時間後、カマキリを囲んで大量のアリたちがパーティーをしていた。



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