• ミロコマチコ「ミロコあたり」

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 2年ほどかけて作っていた新居が完成した。新しい年を新しい場所で過ごしたいという気持ちが、ひとりでこつこつと工事し続けていた旦那さんの背中を押したのか、一気に家らしくなり、ついに住めるのでは、という段階まできた。
 ある朝起きると、晴れていたので、
「今日、引っ越そう!」
と二人の意見が合致した。
 年末の私の仕事は全く納まっていなかったが、天気がコロコロと変わる奄美大島では、晴れているうちに何かせねばという気持ちになるのだ。
 とりあえず、猫さえ逃げられないようになっていれば、家としてオッケー。大きな家具は東京から奄美へ引っ越す時に手放していたので、少しの重いものは友人に手伝ってもらい、車で何度も往復すれば、私と旦那さんの二人で運べる程度だった。最後に猫たちも運ぶ。
 ずっと通いつづけた工事現場で、暮らし始めた。お湯が出る!とか火がついた!とか鍵がかけられる!などなど、当たり前のことにいちいち感動した。
 とはいえ、大物から小物まで、作りたいものはまだまだあった。元旦から、木材を切る電動のこぎりの音が鳴り響く。
 1日にキッチンの道具を収納する棚ができた。2日にはトースターやオーブンが入る棚ができた。そして、3日に包丁入れができた。
 ずっと居場所のない包丁が危ないと思っていたので、嬉しくて、早く収納したい一心だった。棚の高いところにあった、新聞紙に包まれた包丁を勢いよく取った。その拍子に、新聞紙からハラリと包丁がすり抜け、落ちてきたのを、私は反射的にキャッチしてしまった。
 一瞬、何が起こったかわからなかった。左手の指から血が溢れ、キッチンの床にぼとぼとと垂れている。声を発せないまま放心してると、隣にいた旦那さんが慌ててマスキングテープを手に取り、止血をしようと指にグルグル巻いてくる。シンクにかかっていたタオルで抑えて、とにかく病院に行くことにして、車に乗り込んだ。
 しかし、お正月である。旦那さんが電話をかけてくれるが、どこの病院も出ない。街の大きな病院までは車で40分くらいかかるけれど行くしかないかと思った途端、比較的近くの病院に電話が繋がった。
「指を切ってしまい、診て欲しいんですけど。」
「軽症なら遠慮していただいて......」
「めっちゃ、ざっくりです――!」
と取り乱している。
 あまり痛みを感じてなかった指が、どんどん痺れてくるのがわかる。止血のため心臓より高く手を上げているからか、痛いからか、よくわからないが、心臓がドキドキしてくる。しかし、慌てふためく旦那さんを見ていたら、だんだん冷静になってきた。
「慌てないで、安全運転で行きましょう」
と声をかけて、発車した。
「指が取れてしまった場合は、牛乳に入れて持っていくといいって言うけど、ほんまかなぁ」
 道中、旦那さんを落ち着かせるために、私が他愛のない話をして励ます。
 着くと、思ったより大きな病院で内科から外科、歯科まである。しばらく待っていると、先生と看護師さんたちが来てくれた。
「ああ――、切れてるねぇ。包丁で? ひゃあー。こりゃあ、重い包丁でしょう」
なんて言われたが、軽い包丁だ。それくらい深く切ってしまっているらしい。切った時は、血だらけで何本切ったかも見えず、指がどこまで繋がっているかもわからなかったが、薬指だけ3分の1ほど切ったらしい。良かった。すぐに縫合することになった。
 しかし、予定外の患者なので、診療外科ではなく、外科手術など行う先生と看護師さんが来てくれたみたい。より縫合のプロではあるので安心だが、この診察室の勝手がわからないようで、しきりにいろんなものを探している。
「消毒液ないー? 麻酔は? 手袋ないの?」
なんてやっている。
「野戦病院みたいだね。ははは」
 先生と看護師さんの余裕のあるやり取りを見てると、不思議と安心できた。
 結局、3針縫ってもらった。麻酔の注射は痛かったが、指が痺れて感覚がないことを伝えると、神経が切れてしまったらしい。
 家に戻ると、キッチンには血だらけの包丁と、床にはあちこちに血がたれていて、殺人現場のようだった。麻酔が切れてくると、徐々に痛みがやってきた。しばらくは病院通いになってしまったので、1週間後の京都のライブペインティングを断念した。
 体はすごい。指には縦に2本の神経が走っているらしく、1本切れたので、触ってみると指の片側は感じるけど、片側はごっついゴム手袋に包まれているかのようで、こそばゆいだけだ。その感覚が面白くて、むやみに触ってしまう。切れてしまったのは元には戻らないが、時間をかけてまた神経は伸びていくらしい。
 幸い左手だったので、生活や制作にはそこまで支障はなく過ごしているが、反省のお正月だった。
 いつかのお正月も、友人宅で、鼻の下を強打してズル剥けになったなぁ......ミロコあたり第10回で綴った)。大体浮かれているからだろうな。



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