• ミロコマチコ「ミロコあたり」

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 こどもの頃から、だいたいのことが人よりできなかった。なかでも運動が大の苦手で、体育の先生がみせる動作が、とにかく真似できない。きっとみんなは、感覚で理解しているのだろう。わたしは動くことを意識しすぎて、頭で考えて、体がチグハグしてきてしまう。右足を先に出して左足が次で、あれ? 手はどうなってんだっけ?という具合に。
 体は硬い。筋肉もゼロ。水泳なんてもってのほか。中学から私立に行き、プールがない学校と知ったことが、一番嬉しかった。なかでも、球技は人に迷惑をかけるので、ものすごく苦痛だった。バスケやバレーなどチームで戦うものにわたしが入ると、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。早々に突き指をして、先生に「見学してなさい」と言われたときの喜びたるや。
 中高6年間は、体力測定という恐怖の日も毎年あった。自分のできなさを数字で見せつけられる。前屈も後屈もみんなが失笑するほどの数値、ボール投げに関しては7mで、測定結果のアドバイスには「小さいこどもとボール投げをして遊びましょう」と書いてあった。
 友人たちが、自分と一体となっているかのごとく自転車を操って走る姿は、まぶしかった。わたしはというと、自転車に乗った方が遅いので、走っていた。
 そんな具合だったので、大人になったら、運動はほとんどしなくなった。人から笑われることも迷惑をかけることもなくなったので、少し忘れかけていた。
 昨年のお正月に、友人宅の新年会にお邪魔したときのことだった。部屋に、ある器具が転がっていた。腹筋ローラーという腹筋を鍛えるものらしい。なんとなく見たことはあった。タイヤの両脇にバーがついていて、両手でそれを持ち、腕立て伏せのような態勢で、ローラーを前後させ、体を上下させる器具だ。ある友人がやってみると、ローラーが前まで転がってしまい、体がペターンとうつ伏せになってしまった。これを体に引き寄せつつ、起き上がってくるのが難しいらしい。なぜだかわからない。わたしの頭の中では、ローラーを引き寄せることはできる、と思った。
 自信満々に「わたしにも、やらせてくれ」と言った。バーをしっかり掴んで、ゴロゴロと転がす。腕が地面と直角になって、震える。しかし、ローラーをとにかく手前に引けばいい、ということしか考えてなかった。勢いよく引いたわたしは、手とローラーが体の下に入り、そのまま顔面から床に激突した。
 ゴンッ!!!というものすごい音と共に、凄まじい衝撃。
「ぎゃーーー!」と叫ぶ。
 友人たちも「えええええ!」と叫んだ。
 一旦は叫んだけれど、何が起こったか、わからなくて、黙って顔を押さえて、「ぐうううっ」と唸って、じっとしていた。
 顔面のすべてが折れた、と思った。騒いでいた友人たちが、どうすればいいかわからない顔でこちらを見ているのが、うっすら視界に入った。とにかく顔面が麻痺して何がどうなっているのかわからない。涙が垂れる。じわりじわりと戻ってくる感覚。触ってみたら......、折れてはいなかった。だけど鼻の下から血が溢れてきた。
 鏡を見ると、おでこ、目の間、鼻、鼻の下、唇と一直線に切れていた。バンドエイドをもらって鼻の下に貼り、マスクをして帰った。めでたい新年会なのに、心配そうに見送ってくれる友人の顔を見ていると、情けなかった。
 顔面は縦に一直線に腫れあがり、バンドエイドをベタベタ貼っているので、顔を洗うのも、ままならない。正月明けには、人前に出る仕事もいくつかあり、顔を隠すわけにもいかず、「腹筋ローラーで怪我をしまして......」というダサい話を毎回するはめになった。
 ローラーを手前に引くことだけに頭がいっぱいで、自分の体がどういう動きをするかに全く考えが及ばなかったわたしは、つくづく運動のセンスがないのだ。
 ほとんど運動はしていない、と言ったが、実は毎日録画している10分のテレビ体操だけは、するようにしている。それも、見本のお姉さんとは程遠い動きをしているのであろう。
 隣で、冷めた目で見ている旦那さんが、時々笑う。



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