• ミロコマチコ「ミロコあたり」

mirocoatari30_クリーム1.jpg

 うちの隣には、80代のおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいる。名前は平(たいら)さん。農業も漁業もするスーパー夫婦だ。
 昨年、工事をしている時から、ちょこちょことうちを覗きに来ては、
「頑張ってますねぇ」と声をかけて、
たくさんの野菜や果物をおすそ分けしてくれていた。
 日々、集落内に点々とあるという畑に通い、農業をする傍ら、海に投げておいた網をあげて魚を取って、軽トラの荷台にたくさん載せて売りに行く。おうちの門はブーゲンビリアの美しいアーチでできていて、たくさんの果樹や花たちがお庭を彩っている。うちの庭も、平さんのアドバイスで芝生を分けてもらって敷いた。
 ある時、大根を大量にもらった。その時期になると、島のあちこちで大根を干す光景が見られる。切り干し大根は島の定番食材だ。庭に干しきれず、ガードレールにも干してあって笑う。
 私も真似をして大根を干したら、黒い斑点ができてしまった。平さんに見せると、
「こりゃあ、カビじゃあ」と言われた。
 それもそのはず、雨だったので、室内に干していたのだ。ショックを受ける私に、
「雨の日に干したらいかんよ。何日か晴れて風が強い日が、わかるやろう」
 山が多い島では、天気がコロコロ変わって天気予報はあてにならない。
「えー、わかりません」と言うと、呆れた顔だった。
 それ以来、平さんと同じ日に干すことに決めた。
 私には感じることができないが、平さんは島の自然を感覚で読み取っているのだ。
 去年の秋、うちが漆喰やタイルを貼る仕上げ作業にさしかかっていた頃、平さんは屋根に颯爽と登って、ペンキを塗っていた。86歳とは思えない身のこなし。1日に何度も雨が降る奄美大島では、晴れ間が続く秋は、外壁などのメンテナンスの貴重な時期なのだ。平さんの動きを見ていれば、とにかく今やるべきことが見えてくる。
 果樹は、手の届く範囲にするため低く剪定し、美味しい実をつけてもらうために間引き、袋やネットをかぶせて鳥から守り、畑を耕して野菜を作り、海のゴミ掃除もし、本当に1年中、休む暇なく動き続けている。
「毎日、元気ですね。」と言うと、
「忙しくて死ねん!」と笑っていた。
 ある夕方、
「今晩、ドラゴンフルーツの花が咲くから見ておいで」と声をかけられた。
 島では夏のフルーツの定番として、ドラゴンフルーツは庭先によく植えられている。濃いピンクと緑の派手な見た目からは、想像できない淡白な味だけど、多湿な島ではそれがさわやかな甘さで、種のツブツブも口の中で楽しくて、毎朝飲むように食べてしまう。茎は大きなサボテンのようで、まさにうねうねしたドラゴンみたい。そこからぽこぽこと蕾が出て、花が咲く。1年に1度しか咲かない。しかも夜にだけ。いつ咲くかは、その日の夕方にしかわからないらしい。さっき平さんが、ドラゴンフルーツ畑を見てきたら、一斉に蕾が開きかけているという。
 夜明け前、朝5時頃行くといいと聞いて、早起きして出かけた。暗闇の中、車で走っていると、途中散歩をしている老人を発見した。白いシャツにエンジ色の短パン。早すぎる。
 ちょうど5時頃、ドラゴンフルーツ畑に到着。月がまぶしいくらい明るい。そこには、月に照らし出された真っ白い大きな大きな花が、これでもかと咲き誇っていた。
 ドラゴンフルーツの花は、広げた手のひらよりもさらに大きいくらい。300個くらい一斉に咲いている。白いしっとりとした花びらの中に、淡い卵色のおしべとめしべがふんわりと柔らかく渦巻いていて、覗くと夢の中みたい。顔を近づけすぎて、花粉が鼻に入る。むせる。すごい生命力。まだ暗い中、満開の花の中にいると、どこか別世界に連れて行かれるような気がして、ゾクッとした。
 振り向くと、白いシャツにエンジ色の短パンの老人が立っていた。
「た、た、平さん......!」
 さっき道を歩いていたのは平さんだった。歩くとおそらく30分くらいかかるはず。
「おー、見にきてたか。見事なもんだ」
 汗を拭き拭き、デジカメを取り出して、写真を撮り始めた。聞けば、手作業で受粉をしに、昨晩も畑に来ているらしい。恐れ入った。
 少しずつ空が明るくなっていくとともに、ドラゴンフルーツの花が閉じ始めていた。
「じゃ、帰る」と言って、また歩いて行った。
 帰り道、若い女性が歩いていると思ったら、平さんの奥さんだった。後ろ姿は大学生くらいに見える。なんだか、車で来た私は恥ずかしくなった。
 日々、自然と向き合う仕事の中で、私の何百倍もこの島を見ている。だから、晴れる日、風が強い日、今何をするべきか、よくわかっている。だから、あんなに美しい光景にも出会える。
「毎日見えるものが違うから、仕事は楽しい」
 そう話すお二人の目は、歳をとって薄く美しく透けている。その瞳の中には、月に照らされたドラゴンフルーツの花が咲いていた。



Bronze Publishing Inc.