• ミロコマチコ「ミロコあたり」

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 今から11年前、東京に出てきたばっかりの頃の話だ。
 絵の仕事など一切なく、職探しをしていた。
 あるおばあちゃんが、ちょうどアルバイトの子を探していると聞き、面接を受けに行った。おばあちゃんは都内に4店舗ほどある歯科医院の理事長をしているらしい。その頃、今の旦那さん、Mくんとまだ結婚しておらず、お互い一人暮らしだった。Mくんは工務店をしており、おばあちゃんの家の修理を依頼されたのが知り合ったきっかけだったらしい。
 白金台にある豪邸に連れて行かれる。1階はガレージになっており、白を基調とした洋館のような佇まいだ。中に入ると玄関には見るからに高そうな重厚な絨毯。ガラスケースの棚に美しいグラスが並べてあったり、金色の細かな模様が施された大きな壺などが並んでいる。そこに小さなおばあちゃんがいて、奥の部屋に通された。ここで一人暮らしをしているらしい。
 室内もとても豪華なのだが、よくテレビなどで見る、生活感のない感じでは全くない。むしろ溢れまくっていて、きらびやかな猫足のダイニングテーブルの上は、綿棒やチラシや輪ゴムや湿布のようなものでぎっしり埋まっていた。おばあちゃんは犬を抱いて、そのテーブルの前のソファに座った。
 私は、歯医者で働いたこともなければ、働きたいと思ったこともなかったが、生活のため採用されるよう、なんとなく志望動機など、体良く答えようと心算をしてきていた。
「どうしてうちで働きたいの?」とか「どういうことを目指したい?」とか聞かれるかと思っていたら、
「生年月日は?」とだけ聞かれて、いきなり占いが始まった。
 しばらく待ったのち、
「うちで働くのには、まぁまぁいい運勢は出てるわね」と言われて、採用が決まったようだった。面接はそれのみ。拍子抜けして、部屋をよく見回すと、床中にペットのおしっこシートが敷き詰めてある。
「めっちゃ犬をかわいがってるんですね。」と私が言うと、
 おばあちゃんは急に、「雨漏りよーー!!」と絶叫した。それからいかにこの家がおかしいかを激しく訴え、「だから気が狂っちゃってるの!」と言って、家の中が荒れ果てていることを弁明した。どうやらこの豪邸は欠陥だらけで、M くんはその修理に呼ばれたらしい。
 とにかく、採用されたので働くことになり、都内のある歯科医院へ行くことが決まった。その医院のB先生はあまりしゃべらない大人しい方で、治療も会計もひとりでこなすため、私は電話に出て予約を取ったり、患者さんにエプロンをかけたり、掃除の仕方などを教わった。
 数日働いて、歯科医院という場所にも少し慣れてきた頃だった。
 その日はアルバイトは休みだったので、家でのんびりと過ごしていたのだが、夜の11時頃に、突然携帯電話が鳴った。出ると、おばあちゃんだった。
「今どこにいるの?!」と激しい声。
「家です」と言うと、
「殺されるから、すぐに逃げなさい!!」と言われた。
 私の頭の中は「!!!???」だ。
「な、なんで?」と聞くと、
「バレたの!」と言う。
 とにかく家にいることが危ないので逃げろ、と叫んでいる。
 よくよく聞いてみると、おばあちゃんは、B先生が売上を横領しているのではないかと疑っていたらしい。そこで証拠を掴むために、受付に録音機をつけて、お会計と報告される売上がずれてないかを調べようとしていたのだ。録音機を後日回収して聞いてみようと思ったところ、B先生にばれて持ち帰られたらしい。
 しかし、なぜ、私が逃げなければならないのか?
 経緯はこうらしい。その設置をM くんに頼んで、二人で会話しながら作業していた。スイッチを押してから、「まちこちゃんはいい子よねぇ〜」と話してしまったので、B先生が録音を聞いたら、私のことをスパイだと思って、口封じのために、殺しに来る、と言う。
 私はパニックになりながらも、逃げる準備を始め、
「猫は!?」と聞くと、
「猫も連れて逃げろ!」と言われた。
 Mくんへ電話をかけ、状況を説明すると、すぐ車で迎えに行くと言われたので、出れる準備をして待った。
 鉄三ととりあえずのものを持って、車で出発。あのおとなしいB先生の妙な無口さが、急に恐ろしくなってきた。鬼の形相で、包丁を握りしめ、私の家を目指している様子が頭に浮かぶ。初めて首都高から見る東京のビル群の美しい夜景の中を車で走りながら、
「東京って、めっちゃ怖い場所やん......」と震えていた。
 数時間、都内をグルグル走って、少し冷静になってきた。
「よく考えたら、B先生って私の住んでるところ、知らんのちゃう?」
 おばあちゃんには履歴書を渡したが、B先生には住所を知らせた覚えはない。
「ほんまやな......」とMくんもポツリ。
 だいたいこのまま逃げ続けるのも現実的ではないし、落ち着いて家に帰ることになった。
 それから、その歯科医院には一度も行っていない。
 おばあちゃんからは、他の医院にバイトに行くよう指示され、そこでも、いることがバレないようにしばらく電話に出ることも許されず、ひっそりと働いた。
 数日の間、B先生のおとなしい声が、留守電に入りつづけた。
「おやすみですか? 来てくれませんか?」
 先生の優しい顔と、鬼の形相が、頭の中をうろうろし、真実がわからないまま申し訳ない気持ちにもなった。
 そして「あの占い、全然当たらんやん......」と思った。



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