• ミロコマチコ「ミロコあたり」

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 2019年の秋のことだった。メキシコのメリダという街で新しくギャラリーを開くので、展覧会に参加してほしいというメールが突然送られてきた。カルロスという男性からで、とても丁寧で、愛あるメールだった。アメリカ、カナダ、ヨーロッパの作家が多数参加するグループ展らしい。しばらく前から、インスタには海外からのコメントが多い。作品を見てくれたのだろう。何より、メキシコという国に興味があったので、参加を決めた。
 新しいギャラリーはまだ建設途中で、CG完成予想図が送られてきた。なかなかに大きなギャラリーだった。日々の仕事と次の個展への制作で手一杯な私は、手元にある作品を何点か見繕って送ることにした。
 奄美大島に移住してからは、作品は東京の倉庫で保管している。ほぼ本州での展示ばかりなのと、島は高温多湿でカビとの闘いもあるし、段ボールや梱包材が大好きな猫たちからも守らねばならないのが、長年の悩みだった。
 作品管理やマネージメントをお願いしている東京のレンさんに、配送手配などを連絡すると、英語が堪能なスタッフのハマちゃんがやり取りをしてくれた。
 2020年3月、無事にギャラリーはオープンし、グループ展は開催された。インスタにあげられた動画を見ると、会場は絵を見ながら談笑する人たちで賑わっていた。
 カルロスからのメールには、いつかぜひ個展をしてほしい、と書いてあったので、その時こそ必ず現地へ行って、実際に感触などを味わいたいと思った。
 個展の場合、制作にも時間がかかるので、規模にもよるが年間4か所までと決めていて、数年先まで展示予定が決まっている。ただ、新型コロナウィルスが世界を揺るがしてから、そこに少し空きが出て、調整したら、2022年に、メキシコで展示できることがわかった。
 せっかくメキシコに行くなら、「死者の日」に合わせたい。死者の日とは日本のお盆のようなもので、先祖や死者が帰ってくる日のこと。メキシコではガイコツのメイクをして仮装し、楽器を演奏して歌ったりお酒を飲んだり、みんなで楽しく死者を迎えるそうだ。カルロスは、快くその日程にしてくれて、準備が始まった。
 とても天井が高く広々としたギャラリーなので、グループ展の時のような小さな絵ではもったいない気がする。大きな絵を持って行きたいとレンさんに相談して、一体メキシコまでどのくらいの送料がかかるのか調べてもらった。大きさや点数をざっくり決めて、リサーチすると目の玉が飛び出る金額だったので、ギャラリーへ費用分担をお願いしたが、行きの送料は作家持ちということ。その代わり返送がある場合はギャラリーが負担してくれることになった。
 大きさを組み合わせて、どこの運送会社で運ぶか。新作はギリギリまで描くため、なんとなくの予想しかつけることができず、レンさんには大変な苦労をかけた。費用を抑えようと努力してくれて、本当にありがたく、おかげで私は制作に集中することができた。
 絵と向き合うたびに、メキシコ行きが楽しみで、ネットなどで見るカラフルな世界を想像すると、自然に絵が鮮やかになる。島で感じ取った想像のいきものが、普段は使わなかった色使いで仕上がっていく。我ながらその引っ張られ具合が笑える。
 個展の1か月前に制作を終え、東京へ作品を発送した。そこから作品の撮影をしてもらってデータに残し、配送の梱包手配。本式の見積もりに入る。大きい作品は木箱を作る必要もあったので、予想をはるかに超えた金額となったけど、腹をくくるしかない。
 メキシコには、夫と2人で行くことにしていた。奄美大島から、鹿児島空港経由でまずは成田空港へ。メキシコシティまでのフライトは15時間。1泊して、メリダまで2時間半。
 やっと着いたその町は、10月末にして最高気温33度と、奄美大島とほぼ同じ気候だった。あたりを見回すと、植物も見慣れたものばかり。山のない奄美大島のようだ。市街地から車で40分ほどの海のそばの宿を予約してあった。
「キョッキョッキョッキョッ」
ヤモリが鳴いた。よく見ると糞も落ちている。それも奄美の家と同じだ。
 設営の朝、ギャラリーのスタッフのミミが車で迎えにきてくれた。
 車に乗せてもらうと、10歳くらいのかわいい男の子がいた。ミミの息子でオスカルという。道中、オスカルはタブレットを巧みに操り、難しい話はアプリを使って、翻訳してくれた。メリダでは日本食を出すお店もちらほらあって、「ヤクザ」という店が美味しいらしい。ヤクザは日本語でマフィアのような意味だよと教えてあげると、大笑いしていた。
 ギャラリーへ入ると、大きな荷物も到着していて、すでに梱包も解かれていた。どの作品をどこに配置するか決めて図面に書き込んでいたのだけど、現場に立つと全然違った。会場に入ってからの動線や、並べてみると合わないなと感じて、ガラリと変えることに。
 料金を抑えるため、木枠に張っていないロールキャンバスも数点持ってきていて、キャンバスにしてくれた。設営スタッフの数人は落ち着いていて、とても頼りになった。展示場所に悩んで、ミミに意見を求めると、なんでも素早く的確な答えが返ってくるので、どんどんと進む。並べてみると1点だけ届いていない作品があったので捜索をお願いしたら、税関で置いてきぼりにされていたけれど、開幕までには間に合った。
 それから2日間はフリータイムで、死者の日を満喫する間も連絡を取り合って、ライブペインティングや制作している動画があることを伝えると、会場で流す手配をしてくれたり、お客さんに伝えるために、たくさん作品のことを聞いてくれた。最大で高さ2.1×長さ4mの大型作品を5点含めて、全部で25点ほどの展覧会となった。
 個展初日は、夕方からワインを開け、集まってくれたお客さんをひとりずつ紹介してくれる。インテリアデザイナーや、画家、コレクターなど、様々な人が集まっていた。スペイン語ができない私に代わって、ミミが作品の説明をしてくれる。
 訪れたメキシコ人の反応はどれもあたたかいものだった。感情をストレートに表すので、あたたかいというより、後ずさりするほどの熱意のこもったものもあったが、往々にして、喜びや嬉しさを伝えてくれるので、細かい会話ができない私は、ひたすらに「グラシアス」と伝えた。
 ミミも気に入ったふたつの作品のうちどちらを購入するか悩んでいて、
「どちらがオススメ?」
と聞くので、
「私は決められないよ」
と言うと、また困った顔で、作品の間を行ったり来たりしていた。
 そういえば、ふと思う。メールのやり取りをしていたカルロスってどこにいるの?とミミにたずねると
「カルロスはアメリカにいて簡単には帰ってこれなかった」
 私の方もずっとやり取りをお願いしていたハマちゃんは来ていない。なんだかそれがおかしくてミミと盛り上がった。
 再びメキシコシティを経由して奄美へ帰ってきた今もまだ、展覧会は続いている。また私はインスタでアップされる遠い異国の画像を見ている。でも行く前とは違って、とても近く感じる。あの場所の温度や質感を知ってるだけで、すぐに心が飛んでいける。せっかく遠くへ運ばれた作品なので、1年間はギャラリーに保管して、ゆっくり誰かに届けれるように約束している。何よりメキシコで見た眩しい光とカラフルな街並みが、今後の私の絵に、きっと変化をもたらすに違いないと思っている。



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