• ミロコマチコ「ミロコあたり」

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 一人の夜が怖い。小さい頃から、ずっと怖かった。前世に何かあったのではないかと思うほどに。だから、夜に一人でやらなければならないことは、大抵苦手だ。
 特にお風呂が怖い。実家でも、ひとりで入る年頃になると、ドアを半分開けて入っていた。頭や体を洗うことにも集中できず、いかに早く洗って出られるかだけを考えていた。目をつぶるなんてことは、絶対にできない。ひとたび怖い想像をすると、頭の中がグルグルッと回転して、パニックに陥りそうになる。
 できれば、体だけをヌルリと脱いで、お風呂に入れて、心はリビングで家族と一緒に過ごしたいと、何度も思った。わたしの代わりに誰かがお風呂に入ることによって、わたしもキレイになれたらいいのに、とか。
 両親に相談しても、大人になったら治るよ、くらいにしか言われなかった。それを信じて、毎日お風呂と闘ってきた。
 多分、もう大人である。少しは和らいだようにも思うけど、相変わらず怖い。旦那さんと、猫も4匹いるし、自宅にいる時はまだ大丈夫。お風呂のドアの向こうに猫たちがいて、湯船に浸かっている間は、ドアを開ける。お湯を飲みたいのでそばに来たり、お風呂あがりのあったかくなった人間に抱っこされるのを待っている。
 問題は、出張中のお風呂である。そもそも、ホテルが怖い。あの狭い部屋のいたるところにでっかい鏡があって、窓が開けられない空間が怖い。うちに泊まってくれたら、という方もいるが、それはそれで気を使ってくつろげない性質なので、ホテルを選んでしまう。
 なので、できれば大浴場つきのホテルをお願いする。でも、大浴場のひとりも怖いので、要注意。一度、笠間で個展をしたときに、だだっ広い銭湯でひとりきりというのを体験して、死ぬかと思った。30人分くらいの、ロッカーが3列くらい並んでいて、さらに10人分くらいの洗面台が並んでいて、鏡が連張りになっている。鏡の向こうに鏡が際限なく映り込んでいて、永遠に続く鏡地獄。自分が自分でなくなるように、ギューンと意識が引いていくような感覚があった。頭や体を洗うときも一度も椅子に座らなかったし、湯船に浸かった覚えはない。髪を乾かすこともできずに、とにかく逃げるように出た。
 ホテルで部屋の中にしかお風呂がない場合は、夜に入ることはない。明るい朝に入る。とはいえ、お風呂に窓があることはほとんどなく(あったらあったで怖いかもしれない)、明るいことを確認しながら入ることは難しい。おまけに、恐怖でなかなか寝付けないので、出張中は、とにかく寝不足と早風呂で疲れが取れない。
 ところが先日、高知の知人の家に泊まったときのことである。夜遅くに着いて、わたしを含めた女性4人で、ゆるゆるとお酒を飲みながら世間話をしていた。自然と、少し霊的な話になっていった。実は怖くなる要因は、一番はこれなのに、大変に興味がある。故に昔からそんな話を仕入れてしまう。そういった本も好きだ。それを、夜のひとりの時間に思い出したり想像してしまうから、怖い。
 大人になっても、おばけをこんなに恐れるなんて、前世本当におばけに呪い殺されたのではないかと思ってしまう。「おばけ」という言葉は合ってないのかもしれないが、まだかわいらしく聞こえるので、敢えていろんなことをひっくるめて「おばけ」と呼ぶことにしている。
 むむむ、今の時間からのおばけの話はまずいぞ、と思いながら、気になって聞いてしまう。沖縄出身の彼女は、海がとても身近な存在らしい。入ると、浄化されるような気がして、気持ちいいと言う。だが、お盆の時期だけは、何か感じるものがあって、怖くて入っていけないそうだ。
 そんな話をした後に解散になってしまい、それぞれ寝る支度に入ってしまった。お風呂どうぞ、と言われたので、明日の朝でもいいですか?とお願いした。
 だけど、部屋に戻ってひとりになると、いつになく落ち着いていた。その部屋は、1年程前に、亡くなったおじいちゃんが使っていた部屋だった。そんなことも聞いていたし、いつもなら心臓はどきどきして、寝付けないはず、と思ってみたけど、どうもその日は怖くない。まさかと思ったけど、お風呂に入ってみようかなと思った。入っている間、何も心配することはなく、いたって冷静に、今日起きたことや聞いた話を反芻しながら、体を洗った。まるで、普通の人のようにお風呂に入れている......!と感動してしまった。その夜、すごくさっぱりしたわたしは、ぐっすり眠ったのである。
 もしや克服したのでは、大人になった瞬間なのでは、と期待したけど、その後の出張は、相変わらずの怖がりに戻っていた。だけど、あの夜だけは違った。おばけは今まで怖いことでしかなかったけれど、逆に、守られているような気持ちがした。おじいちゃんが守っていてくれたのだろうか。会ったことはないけれど、ものづくりの大先輩でもある、そのおじいちゃんが描いた絵と小さな陶器の人形を、私は東京の自宅に持っていて飾ってある。その安心感がつながったのだろうか。
 そういえば、あの夜、沖縄出身の彼女は、死ぬのは怖くないと言っていた。親族たちが入っているお墓を見に行ったら、死んだらその場所にいけるから、怖くないと感じたそうだ。
 目に見えないものを、恐れることはない。そんなことを体感できた、不思議な夜だった。そんな夜が、わたしにも毎日訪れてほしい、と願う。





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