
ピカソ、モネ、ロダン、プルースト、ヴェルディ......
主に19~20世紀に活躍した画家、彫刻家、作家、音楽家たち。
彼らが生まれた国や国籍、とりまく環境が
味覚や嗜好をつくり上げ、その結果、彼らは芸術と同じくらい
食べることにも、独自のセンスとこだわりを持っていた。
なかでも西洋人の彼らにとって、食後やお茶の時間のスイーツには
料理とはまた異なる、特別な思いがあったにちがいない。
あの芸術家はどんなスイーツの前で、極上の笑みを浮かべたのだろうか。


天候によって精神状態が大きく左右されるという経験をしたことがあるだろうか? 少なくともマティスという画家はそうであった。
日本にいる限り、秋から冬のフランスを支配する、なかなか明けない夜や、晴れることのないどんよりとした曇り空は、想像しにくいだろう。しかし、私自身、経験済みだからいえることだが、長くて暗いフランスの冬が、多くの人々を憂鬱にしてきたことは、紛れもない事実である。
マティスは、パリよりも北に位置するピカルディー地方に生まれる。この地方は、パリよりもさらに寒く、冬空は鉛のように厚く、重い。マティスが生まれた村 Le Cateau-Cambrésis ル・カトー・カンブレジを「ただ冷たく無愛想な農村」と喩える者もいる。マティス自身も不眠症に悩まされ、夜毎苦しんでいたというが、生まれ育ったこの環境が、彼の精神に影響を及ぼしたと思えてならない。
だが、北で育った利点もあった。マティスの絵画の特徴の1つともいえる多彩で装飾的な布地......壁紙、テーブルクロス、ソファーや絨毯など、室内を彩るテキスタイル類は、マティスが育った町 Bohain en Vermandois ボーアン・アン・ヴェルマンドワの織物の影響を受けている。当時、この地の織物は最高級品で、ヨーロッパの王侯貴族がこぞって買い求めたという。灰色の日常生活の中で目にする上質でエレガントなビロードやシルクは、まだ画家になるなど思ってもいなかった少年マティスの脳裏に深く刻みこまれたのだろう。
マティスの父は生真面目な商人で、小さな店を営んでいた。家庭用品や塗料、穀物などを扱ういわゆるなんでも屋だ。これといった将来の夢もなく、青年マティスは法律を学び、弁護士助手となる。絵画との出合いは、1890年のことだ。20歳を過ぎた頃、マティスは虫垂炎にかかり、手術後1年近くも床に伏せっていた。そのとき、母が暇つぶしにと絵の具一式を与えたのだった。マティスは当時のことを「絵の具の箱を手のひらにのせたその瞬間、これぞ自分の人生だと思った」と語っている。画家としては、随分遅いスタートだった。
両親を説得し、絵を学ぶためにパリに出るも、画壇はパリの冬の空と同じくらい冷たかったという。おまけに妻アメリーや子どもたちと暮らしたノートルダム大聖堂を臨むアパルトマンも、目の前でたびたび水死体があがり、そばには市営の死体安置所があるという劣悪なシチュエーションだった。
そんなとき、マティスはブルターニュ地方のベル・イルに住むオーストラリア人画家ジョン=ピーター・ルッセル(英語読み/ラッセル)に会い、彼の作品以上に、その暮らしぶりに衝撃を受けたという。家族や友人に支えられ、パリの騒音からは完全に遮断されていたルッセルの暮らしは、穏やかで平和そのものだった。彼の周りには、画家として制作に没頭できる環境が整えられていたのだ。マティスはこのとき、自分もいつかは桃源郷を見つけ、心穏やかに絵だけを描き続けたいと強く思ったことだろう。
マティスが彼の桃源郷となる Nice ニースを訪れたのは1917年、ルッセルとの出会いから約20年後のことであった。それまでも、コルシカ島、モロッコ、そして家族と夏を過ごし、制作もしたコリウールなど、南の風景は幾度となく目にしている。だが、ニースには、マティスの望むすべてのもの......紺碧の地中海、絶え間なく降り注ぐ太陽の光、その光が映し出す色や形が、存在していた。このときすでに名声を得ていたマティスは、制作活動の拠点をニースへと移す。
マティスは、朝のうちに色を塗り、午後はもっぱらデッサンにあてた。ニースの朝の光は、より繊細でやわらかく、最も色を引き立たせる光だとマティスは考えていた。1920年代は主に、女性のモデルを使い、艶めかしいオダリスク(女奴隷)を数多く描いた。アトリエには、ろくに昼食もとれないモデルのために、必ずお茶やお菓子が用意されていたという。それらは、ニースでも評判の名店で買い求められたものだった。
マティスは、ニースの土地だけでなく、郷土料理や地中海でとれる海の幸も愛した。中でも牡蠣は、モチーフとして頻繁に登場している。もう1つ、彼の好きなモチーフが果物だ。南フランスでは果物がふんだんにとれるため、オレンジやレモン、モモ、イチジクなどを思う存分描くことができた。マティスが描いた果物の種類は、セザンヌを上回っていたかもしれない。その上、果物をのせる器やクロスも、色鮮やかで模様が入った、モロッコ風や中近東風の華美なものを使っているところが、いかにもマティスらしい。
当時のマティス邸には、ポーランド人の料理人がおり、彼女の腕前は確かなものだったという。太陽がジリジリと照りつける夏の日に供されたであろう旬の冷製デザート。白桃とアーモンドのコンポートに舌鼓を打つ、年老いた画家が目に浮かぶ。シロップには、香りづけに甘口の白ワインを加え、桃の皮や種も入れてクツクツと煮る。そうすると、シロップが薄っすらピンク色に染まる。その美しい液体で、くし形に切った白桃と粒アーモンドを軽く煮て、サーヴする直前までしっかり冷やしておく。器に盛りつけられたその佇まいが、マティスが生涯大切にした色と線のコンポジションを彷彿とさせる、珠玉のデザートではないか。
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材 料(4人分)
白桃(皮と種をのぞいて)... 350g
ホールアーモンド(皮なし)... 20g
甘味のある白ワイン(ハーフボトル)... 1本(375cc)
水 ... 50cc
砂糖 ... 40〜50g
つくり方
1. 桃はよく洗い、種に沿って横半分にぐるりと切り込みを入れ、ひねって2つに割る。
スプーンで種をのぞいて皮をむき、くし形に切る。桃の種と皮はとっておく。
2. 鍋にワイン、水、砂糖、桃の皮と種を入れて火にかけ、沸騰したら弱火で約5分煮る。
3. 2を漉して皮と種をのぞき、シロップは鍋に戻す。
4. 3のシロップに1とアーモンドを加え、落しぶたをして弱火で15〜20分煮る。
5. 4が冷めたら、密閉容器に移し、冷蔵庫で冷やす。
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