
ピカソ、モネ、ロダン、プルースト、ヴェルディ......
主に19~20世紀に活躍した画家、彫刻家、作家、音楽家たち。
彼らが生まれた国や国籍、とりまく環境が
味覚や嗜好をつくり上げ、その結果、彼らは芸術と同じくらい
食べることにも、独自のセンスとこだわりを持っていた。
なかでも西洋人の彼らにとって、食後やお茶の時間のスイーツには
料理とはまた異なる、特別な思いがあったにちがいない。
あの芸術家はどんなスイーツの前で、極上の笑みを浮かべたのだろうか。


セザンヌは、南フランスのプロヴァンス地方にある Aix en Provence エクス・アン・プロヴァンス(以後、エクスと略)で生まれた。そして、この地で生涯の大半を過ごし、アトリエを構え、プロヴァンスの自然を愛し、作品を描きつづけた。
セザンヌの父は、帽子の販売輸出から財を成し、Banque Cézanne et Cabassol バンク・セザンヌ・エ・カバソルという銀行を設立した地元の成功者だ。当然、父は、息子に自分の跡を継がせたがった。セザンヌは成績も優秀で、父の希望に添ってしぶしぶ大学の法学部に進む。実業家の父は、大学卒業後、息子を自分の銀行に就職させようと考えていた。
ところで、フランスを代表する作家エミール・ゾラとセザンヌは、エクスの名門ブルボン校に通った幼なじみだ。ある日、ひとりの少年が仲間にひどくいじめられているのを目撃した寄宿生が、拳を振りあげていじめっ子を蹴散らし、少年を救い出した。いじめられていた少年は、パリで生まれてこの地にやってきた12歳のゾラ。助けた寄宿生は、1つ年上のセザンヌだった。以来、2人の間には、深い友情が芽生え、いつも行動を共にした。プロヴァンスの鮮やかな陽光を浴びながら、自然を駆け巡り、芸術や文学について、熱く語り合ったという。
セザンヌの画家としての才能に早くから気づいていたのは、このゾラである。そして、才能があるにもかかわらず、セザンヌが、彼をとり巻く環境に逆らう勇気や自信を持ち合わせていないことまで、ゾラは見抜いていた。
その後、18歳でパリに移り、セザンヌと離れ離れになってしまったゾラは、セザンヌに宛てた手紙の中で、画家になるためにパリに出てくることを熱心に勧めている。ゾラの献身的な助言は、偉大な画家の誕生には、なくてはならないものであった。
セザンヌは、なんとか父を説得し、絵を学ぶために、21歳でパリに出た。エクスではプチブルジョワでも、パリでは所詮田舎者だ。とりわけセザンヌは、あか抜けない風貌に、いつもだらしない格好をしていた。その上、強いプロヴァンス訛りのあるフランス語を話したという。印象派の仲間の中には、自分が地方出身者だということを悟られないために、パリジャン風にふるまおうする者が多かった。だが、セザンヌは自分がプロヴァンス人だということを心から誇りに思い、そのスタイルを決して変えることはなかったという。
しかし、セザンヌの絵は、容易には認められなかった。サロンで落選を繰り返しながらも、パリとプロヴァンスを行き来し、それでも根気よく創作に励んだ。やがて、セザンヌは58歳のときに最愛の母を亡くし、以来、パリに長期滞在することは少なくなってしまう。彼の作品がようやく評価されるようになったのは、晩年になってからだ。没後の回顧展には、ピカソやマティス、ブラック、レジェなども訪れ、次世代の画家たちに多大な影響を与えた。
セザンヌの母は、彼のよき理解者であり、おまけに料理上手であった。 実利本意のセザンヌ家は、芸術に全く理解を示さない家庭ではあったが、食に対しては違っていた。セザンヌの母が仕切るその食卓には、いつもおいしいプロヴァンス料理が並んだという。
毎年クリスマスになると、セザンヌ家では伝統的なプロヴァンスのスイーツ、Treize Desserts トレーズ・デセールも欠かさず用意した。これは中央にキリストを表すオリーヴオイルを練り込んだブリオッシュ菓子を置き、その周りに12人の弟子を表す12種類の小菓子やドライフルーツを並べたものだ。印象派時代からの友人であるルノワールは、セザンヌの母の手料理を味わうチャンスに恵まれ、そのおいしさを激賞したという。
母の死の2年後、彼の身の周りの世話をするために雇われたマダム・ブレモンも、 母の味がすり込まれたセザンヌの舌を十分に満足させる腕前だったという。しかし、彼女が料理をつくるようになった頃、セザンヌはすでに糖尿病を発症しており、パンの代わりにカロリーを抑えた乾パンのようなものを食べるなどして、できる範囲で節制していたらしい。
セザンヌが愛したプロヴァンス料理は、プロヴァンスの気候や自然の恩恵に浴した料理である。この地では、フランスの中でも日照時間が長く、乾燥しているため、太陽の光をたっぷりと受けた野菜や果物が豊富にとれる。延々と広がるオリーヴ畑も、プロヴァンスならではの光景だ。新鮮なオリーヴの実から抽出されるオリーヴオイル、ニンニク、トマト、プロヴァンスのハーブと呼ばれるドライミックスハーブなどをふんだんに使うその味は、一般的なフランス料理よりも、どちらかといえば、イタリア料理に近いだろう。
プロヴァンスの食材の中でも、特にオリーヴオイルは、セザンヌ家の食卓には欠かせないものであり、母親はふんだんに料理に使ったという。そのため、セザンヌが若い頃、パリに出るときはいつも、エクス産のオリーヴオイルを荷物の中にしのばせ、何にでもかけて食べていたというエピソードが残っている。
プロヴァンスのスイーツも同様で、一般的なフランス菓子とは異なり、バターやクリームの代わりに、アーモンドや果物の砂糖漬けでコクや甘味を出すものが多い。フランス語で「白い食べもの」という意味のスイーツ Blanc-Manger ブラン・マンジェも、プロヴァンス風では、ミルクやクリームに、プロヴァンス産のラヴェンダーの蜂蜜と、刻んだ果物の砂糖漬けが混ざり合う。デコレーションには、粒状のアーモンドも忘れずにのせたい......。
セザンヌは、故郷エクスを愛し、この地で作品のモチーフを探しつづける。妻や子ども、友情をも二の次にして、絵を描くことだけに生涯を捧げた天才であった。その超人的な制作活動のエネルギーの源となったのは、母親とマダム・ブレモンがつくる滋味深いプロヴァンス料理だったのではないだろうか。セザンヌはプロヴァンスの自然の恵みを食し、画家のエネルギーに換えて描いた。そして、サント・ヴィクトワール山をはじめとする美しいプロヴァンスの自然は、画家の手によって、キャンバスの上で新しい命を吹き込まれたのである。
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材 料 (直径16cmのシャルロット型)
粉ゼラチン ...15g
水 ... 80cc
レーズン ... 50g
蜂蜜(あればラヴェンダー蜂蜜)... 100cc(約130g)
卵黄 ... 3個分
牛乳 ... 550cc
生クリーム ... 200cc
オレンジピール(みじん切り)... 80g
アーモンド(ホール)... 適量
つくり方
1. 粉ゼラチンは水の中にふり入れ、ふやかしておく。
2. レーズンは熱湯に浸し、やわらかくなったらザルにあげて湯を切り、細かく刻む。
3. 小鍋に蜂蜜を入れて弱火にかけ、沸騰直前まで温める。
4. ボウルに卵黄を入れ、泡立て器で白っぽくなるまでよく混ぜる。
5. 泡立て器で混ぜながら、4に3を少しずつ加える。
6. 鍋に牛乳と生クリームを入れて中火にかけ、沸騰直前まで温める。
7. 泡立て器で混ぜながら、5に6を少しずつ加える。
8. 7を牛乳と生クリームを入れていた鍋に戻して弱火にかけ、
木べらで8の字を描くようにたえずかき混ぜる。
9. 8にとろみがついてきたら火からおろし、1を加え、よく混ぜ合わせる。
10. 9に2とみじん切りにしたオレンジピールを加え、全体にいきわたるように混ぜ合わせる。
11. 内側を水で濡らした型に10を流し入れ、冷蔵庫で一晩、冷やし固める。
12. 型のまわりを熱い布巾で温め、さらに型の側面に沿ってナイフを入れて、
ブラン・マンジェと型の間に空気を入れる。
13. 12の型の上にお皿をのせてひっくり返し、アーモンドを飾る。
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