
僕の左腿の内側に、直径3、4センチぐらいの痣のようなものがあるんです。痣というには少し薄い、シミのような......たぶん生まれたときからあったんだと思うんですが、気がついたのはいつだったか、小さな子どもの頃です。今はほとんど見もしないし、ほとんど忘れているんですがね。
子どもの頃は、その痣がとても不思議なものに思えたので、しょっちゅう眺めていました。眺めていると、それが、小さな島の形に思えてくるのです。なぜ自分の腿の内側に、どこにあるのかもわからない島の模様が描かれているのだろう? 自分はこの島とどんな関係があるのだろう? いつかこの島を見つけて、そこに行かなければならない運命なのだろうか? それとも、これは宝島の地図かもしれない。いつか、海賊キャプテン・キッドの末裔が、僕の腿の皮膚を剥ぎ取りにくるかもしれない。僕がそのことを先に知って、宝のありかを突き止めるのを恐れているかもしれない......そんなことを空想すると、ドキドキしたり、ワクワクしたり、楽しいのでした。
急に2、3日の休みができたときなど、日本地図を広げて、知らない小島を見つけ、たいして下調べもしないで出かけていく、そんないい加減な旅を楽しんでいた時期がある。島に行くには、港町に行って、船に乗らなければならない。ちゃんとした立派な港のときもあれば、不安になるような船着場のときもある。
あるとき、能登の沖の舳倉島(へくらじま)という島を見つけて、行ってみようと思った。輪島港まで行ったが、舳倉島へ行く定期船はないという。ちょうど郵便物を届ける船が出るから、それに乗れという。帰りはどうするのだろう? 宿はあるのだろうか? 不安になったが、人が住んでいるのだからなんとかなるや、と思って、小さな船に乗った。船頭の話では、舳倉島は冬は無人島になって、春になると海女が住んで漁をするのだそうだ。冬の間に傷んだ家を修理する工事人が泊っている宿があるから、そこに泊まればいいと言う。
船は揺れながら沖へ向かい、島が見えてくる。列車の旅とは違う、なんともワクワクする船旅の気分。
舳倉島は、ちょっと不思議な小島だった。島のまん中あたりが、大きな石を積んだ小山のようになっていて、さらにそのまん中に池がある。それはどうやら真水らしく、大きな金魚が泳いでいた。鯉だったかもしれない。そして、あちこちにいろいろな大きさのケルンが積んである。僕は石に腰掛け、池を眺めていた。向こうのほうはきれいな草原で、白い灯台が建っている。空には、マグリットのパンのような白い雲。とても牧歌的なそよ風。でも、聞こえるのは、島の岸壁にぶつかる波の音。潮の匂い。池には金魚?
僕は魔法のような風景の中で、ただただぼんやり座っていた。どんどん時間が流れ、夕焼けになり、星が見え出した。どういうわけか、頭の中にドヴォルザークの曲が流れていた。
瀬戸内海の犬島に行ったことがある。そこには宿がなく、ほとんど人が住んでいないようなので、ただひととき過ごして戻ってきた......のだったと思う。なにしろ、ずいぶん昔のことなので。小さな島は、石切り場と赤いレンガの廃墟だった。大きな煉瓦の煙突が、半分崩れかかって、みごとに晴れ渡った空に突き刺さっていた。なんにも知らなかった僕は、ここは戦時中の秘密化学兵器の工場跡ではないかと思った。
最近知ったのだが、この犬島で現代アートの展示施設ができたか、できるのだそうだ。近くにある直島の地中美術館のようなものなのだろうか?
直島は、美術館ができてから行ったことがある。やはり船で行くので、たどり着くまでが楽しい。素朴な島に、世界中の現代アートが展示されているおしゃれな美術館やホテルがある。
島の住人だったのかもしれないタクシーの運転手が、桟橋の先を指して、
「お客さん、あれ、見えますか? あれは草間弥生のカボチャです」なんて言うので、おもしろい。
犬島もああいうふうになるのかな?
これも、随分前のことなんですがね、お正月も過ぎたころ、暖かい島に行きたくなってね、日本でいちばん南の島はどこだろうと、地図を広げてみると、奄美大島のずっと先に与論島という小さな島が見つかって、もうそのすぐ先が、沖縄なんですね。沖縄はまだ返還される前のことだから、与論島が日本最南端の島。たしか鹿児島まで飛行機で行って、そこから船に乗った。結構大きな船でね。人間だけでなく、豚や自動車、そのほか荷物がたくさん積み込まれてね。出港するとき、銅鑼(どら)が鳴り、色とりどりのテープが投げられてね、おー、随分本格的な船出だなあ、と思った。
甲板に中学生ぐらいの学生服をきちんと着た少年が、直立不動で、桟橋で手を振っているお母さんたちをじっと見つめていた。なんだか出征する少年兵みたいだなあ、と思って、時代が戻っていくような妙な気がしたけど、同時にこれから行く島は、そう近くはないんだな、この少年は、行ってしまったら、そんなに簡単には帰れないんだな、と思った。僕にしても、鹿児島から船に乗るのは初めてだったから、つられて神妙な気持ちになった。
鹿児島湾を出ると、夕焼け空に桜島の煙が流れていてね。それからすぐに夜になって、海面の夜光虫を眺めたり、そう、実際与論島に着くまで、30時間ぐらいかかったかなあ、途中の奄美大島や徳之島とか、いくつかの島に結構長く停泊するので、その度に下船して、近くを散歩したりしたんだね。
で、与論島についたときは、丸一日過ぎた夜中。船は桟橋の随分手前で止まって、艀(はしけ)がくるんだ。つまり、桟橋の近くはサンゴ礁で浅瀬になっているから、大きな船は入れないので、小さな舟に乗り換えるわけ。でも、波がうねっていて、なかなか乗り移るのが大変だ。お婆さんなんかみんなで抱えて、キャアキャア大笑いしながら、ひょいと放り投げると、艀のほうで受け取る。僕も海に落ちるんじゃないかと必死だったな。真っ暗だしね。桟橋には提灯だの懐中電灯持った人がたくさんいて、ワイワイ言っている。予約してあったのか、その場で頼んだのか忘れたけど、とにかく小型トラックに乗せてもらって、宿へ行った。
宿は、いかにも南の島の家という感じの平屋で、ほら、全体が潮風で白っぽく風化しているような。僕が泊まった部屋のほかにもいくつか部屋があるので、旅館なんだろうなと思えるようなね。なんだか品のいい初老のおかみさんが出てきて、優しく挨拶してくれたので、ほっとした。ちらっと姿を見かけた老人が、たぶんご主人かな? 夜中に変な唸り声が聞こえるんだけど、うーん、なんなのだろう? 帰る前にその老人と話をしたようなぼんやりした記憶があるんだけど、思い出せない。
それからもうひとり、ちょっと変わった娘がいて、その人が僕の世話をしてくれた。世話といっても、何もないんだけど、朝ごはんをよそって、そばにずっと座っている。
「いいよひとりでやるから」と言っても、うっすら笑って、座っている。朝早く、海辺で味噌汁に入れる岩のりを採ってきてくれたり、ほとんど口をきかないんだけど、あのこは、あの老夫婦とどういう関係なのかなあ。
東京から着てったオーバーコートは、1月とはいえまったく不要で、部屋の壁にずっと掛けてあった。
島は、サトウキビ畑だらけでね、トラクターの上で子どもがサトウキビをかじったりしていた。畑の中を歩いていると、ふいに出会った農夫が、びっくりして、
「あ、これはどうも。何かご研究ですか?」などと聞く。
「いや、ただ遊びにきたんです」と言うと、「では、なぜ畑の中を歩いているのですか?」と聞かれそうな気がしたので、曖昧に微笑んで、
「1月なのに暑いですねえ」と言うと、
「でも、冬です」と言う。
歩いていると、誰もいない小さな入り江に出た。ものすごくきれいな絵の中にいるようだった。そこがこの島の最南端。つまり、その当時は、そこが日本の最南端! だからなんだといわれれば、なんでもないんだけど、なんだか嬉しくなってね。で、前回書いたように、僕は素っ裸になって、沖に向かって泳いだわけですよ。返還されていない沖縄に向かってね。
それから、すっかり気持ちよくなって、真っ白な浜辺を歩いた。真っ青な空と、海と、ずーっと続く白い浜辺。遠くに、小さな舟から浜に上がってくる漁師が見える。ふたり。雑木林のほうから、女の人が小さな荷物を持って、現れる。だんだん近づいていくと、漁師に昼ごはんを持ってきたらしいとわかる。どちらかの男の女房なのだろう。アルマイトの弁当箱を渡していた。そばまで近づいたので、僕は挨拶をすると、ちょっと会釈して、黙って沖を見つめている。立派な顔だ。眉もまつ毛も濃くて、世界中の漁師と同じ深い皺。
おかみさんが、一升瓶から男に酒を注ぐ。僕は何と言ったか忘れたけど、たぶん「おいしそうですねえ」とか、いい加減なお愛想を言ったのかもしれない。男は「飲むか?」とプラスチックのコップを僕につきだす。そしておかみさんが、こぼれそうになるほど酒を注ぐ。一口飲むと、ものすごく強い。僕はもともとお酒はあまり飲めない。無理だと言おうとしたが、男は僕がそれを飲み干してコップを返すのを待っている。死ぬ気で一気に飲んだ。すぐにその気になる僕は、ちょっぴり海の男になったような気がした。もうひとりの男は、一言も口をきかずに膝を抱えて座っている。アルマイトの弁当箱は渡されず、薩摩芋のようなものをもぐもぐ食べていた。女も彼を無視していたような気がする。ふたりの漁師はどういう関係なのだろう。
それから、ずーっと続く浜辺を歩いていると、完全に酔っ払ってきた。だけど、ものすごく気持ちがよい。初夏のような陽射しの、最南端の浜辺は、どこまでも続いているような気がして、僕は自由で、愉快だった。歌を歌っても、勝手に踊ってもいい。
遠くに、腹ばいになっている男が見える。近づくと、鉄砲をかまえている。
「こんにちはー!」僕が叫ぶと、バタバタと鳥が飛び立った。鳥打ちの男は怒った顔をして、僕を見た。
あとひとつ、与論島の思い出。宿で夕飯を食べ、退屈なのでどこか飲み屋のようなところはないのかと聞くと、
「フナツという店がある。少し先だけど、看板が出ているから、すぐにわかる」と言う。
なるほど、「船津ね」。きっと海鮮料理でも出すのだろうと、探しているとね、赤や緑の電気がついた店から、賑やかな音が聞こえるんだ。近づくと、店の名前が木の枝を組み合わせてつくってあってね、確かに「フナツ」とも読めるんだけど、どうやらそれは、スナックだったのが、スの右の一本とクの字がとれてしまっていたのだね。で、そこらの人はみんな、スナックをフナツと言っていたんだね。
店に入ると、歌謡曲が流れ、頭にタオルの鉢巻をした若い漁師たちが、女の人を相手に騒いでいた。
あれから40年以上経ったのかな? あの頃ひとりで行った島には、その後、行っていない。

